ディスコンで交流
2007年 07月 25日
7月25日(水)
阪南市尾崎公民館で障害者社会参加支援を目的とした
活動に「ディスコン」の要望があり、指導員として参加
福祉ボランティアの方たちと一緒に競技を行いました
最初にディスコンの名称やニュースポーツと言われる
意味合い等を説明した後、赤・青と其々にチーム名を
決めてから競技をスタートする
はじめは戸惑いや静観をしていた方も、ルールが分かると
いつの間にか口が先にでて、ディスコン評論家が増える
この評論家が実際に投げると、口ほど上手く行かず
とんでもない方向に行ったりする、これもご愛嬌だ
勝敗は時の運であり、こだわりは無いが一投で場が変る
歓声が上がって、何度も何度も盛り上がる場面があった
3回戦あたりの勝負になると、一投毎に勝負が入れ替わり
思わず大きな歓声の連続であった、
大阪は何事も北部地域で事が進んでから、しばらくして
南下して行く傾向があるような気がする、終戦後発展した
高度成長の中で新興住宅が北部から進んだ関係でしょうか
4年前にディスコンのインストラクター登録をしたときは
堺以南では数名であった
現在、熊取町では行政の取組もあり、多くの指導員ができる
当初は3回、熊取町の依頼を受けて指導員として参加したが
行く度に、職員の方が多くの参加者を集めて居られて
前向きな取組が感じられた、当然結果として結び付いて行く
物事は、結果を目的とした行程の大切さを思う
・解説は 出来ても実行 難しい
阪南市尾崎公民館で障害者社会参加支援を目的とした
活動に「ディスコン」の要望があり、指導員として参加
福祉ボランティアの方たちと一緒に競技を行いました
最初にディスコンの名称やニュースポーツと言われる
意味合い等を説明した後、赤・青と其々にチーム名を
決めてから競技をスタートする
はじめは戸惑いや静観をしていた方も、ルールが分かると
いつの間にか口が先にでて、ディスコン評論家が増える
この評論家が実際に投げると、口ほど上手く行かず
とんでもない方向に行ったりする、これもご愛嬌だ
勝敗は時の運であり、こだわりは無いが一投で場が変る
歓声が上がって、何度も何度も盛り上がる場面があった
3回戦あたりの勝負になると、一投毎に勝負が入れ替わり
思わず大きな歓声の連続であった、
大阪は何事も北部地域で事が進んでから、しばらくして
南下して行く傾向があるような気がする、終戦後発展した
高度成長の中で新興住宅が北部から進んだ関係でしょうか
4年前にディスコンのインストラクター登録をしたときは
堺以南では数名であった
現在、熊取町では行政の取組もあり、多くの指導員ができる
当初は3回、熊取町の依頼を受けて指導員として参加したが
行く度に、職員の方が多くの参加者を集めて居られて
前向きな取組が感じられた、当然結果として結び付いて行く
物事は、結果を目的とした行程の大切さを思う
・解説は 出来ても実行 難しい
by nabesada98
| 2007-07-25 23:47